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【ネタバレあり】The Last of Us Part2をプレイして感じたこと

 

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ついに発売しましたね、ラスアス2。

僕も多くのゲーマーのように発売日に購入し、

土日の貴重な時間をオールインしてエンディングまでたどり着きました。

皆がキャッキャウフフしている中部屋でひたすら暴力と憎しみに満ちた陰惨なゲームをプレイする休日は本当に素晴らしいですね。

 

さて、どうでもいい話は置いとくとして本題に入ります。

どうやら、このラストオブアス2というゲームは海外を中心に批判が殺到しているようです。

 

著名なレビュー集積サイト「メタクリティック」では

プロのレビュワーのつけた点数の平均であるメタスコアは94点

ユーザーがつけたスコアは45点(2020年6/26現在)と

 

www.metacritic.com

 

 

とてつもない乖離が発生しています。

そうはいっても、ユーザースコアなんてものは一部の荒らしのような人たちによって意図的にスコアを下げることができる指標なので

まじめに受け取るものではありませんが、重要なのは点数がいくつかということではなく、

「なぜユーザースコアを下げられたか」という事象の原因を紐解くことだと思います。

 

ここからは僕がプレイした感想も含みますが、その原因を一言で表すなら。

 

「こんなの俺の求めていたラストオブアスじゃねえ!」

 

これに尽きるのではないでしょうか。

こういった現象って前作が面白ければ面白いほど起こりがちなんですよね

 

そして僕も少なからずLast of Us2 をプレイして同様の感情を抱きました。

とはいえわかってほしいのは、三日間このゲームを時間も忘れてプレイし続け、エンディングには涙も流したので

到底つまらないゲームだとは思いません。

ただあのラストオブアスの続編として見た時に、うーんと思わざるを得ない部分が有ったなあということなのです。

 

 

ではラストオブアスパート2はいったいどこが問題だと感じたかについて話します

今回のラストオブアスはエリー以外にもアビーというキャラクターがもう一人の主人公として存在しており、

このアビーをプレイするパートがだいたいゲーム全体の40%近くあるんですよね。

 

おそらく僕含め多くのラストオブアス2に批判的なプレイヤーはこのアビー編に不満を感じていると思います。

メタルギアソリッド2でも「雷電って誰だよ!スネークをプレイさせろ!」と批判が集まったと聞きますが、アビーに関して言えば、エリーが復讐の旅に出るきっかけを作ったいうなれば「かたき役」でもあります。

その時点でプレイヤーはアビーを好きになりようがないという構造の上でゲームを進めることになるのです。

 

この時点でそりゃ賛否両論あって当たり前なわけです。

そして、僕がラストオブアス2 をプレイして常々感じたのは主人公であるエリーの話が見たかったのに,,,という思いです。

 

今回の主題は「復讐」ですし、そのうえでアビーの視点をプレイさせたい開発側の狙いは非常によくわかります。

 

こうしてプレイヤーの視点を変えることで、加害者の視点・被害者の視点、そしてその立場すら次々と入れ替わり、復讐とは何なのか、復讐をした人間、された人間はどうなるのかを徹底的にこれでもかというぐらい見せつけてくるんです。

 

でもね、僕は思うんですが「復讐」という主題自体使い古された題材じゃないですか。

正直いって、アビーが悪い人ではないなんてことはわかっているし、

「彼女にも友人や恋人がいて、彼女にも復讐するなりの理由があるんだよ…」

なんてことはわかり切った話なので、わざわざアビーをプレイしなくても伝わるんですよ。

僕にとっては愛着のないキャラクターのわかり切った展開を見せられるより、「今作の主人公であるエリーをもっと掘り下げるべきじゃねえの?」とアビー編をプレイしながらずっと思っていました。

 

特に僕はエリーの気持ちでどうしても共感できないところがありました。

それは「自分をファイアフライの病院から救い出したジョエルを許せない」という気持ちです。

 

僕みたいなしょうもない人間なら世界中の大勢の命が助かるけど、君は死ぬよなんて言われたら余裕で大勢を殺す方を選びますけど

でもエリーは違うんですね。

ライリーや家族が死んだときから生きる意味を、死ぬ意味をずっと求めていた。

だから僕はもっとエリーを知りたかった。

エリーが抱えている鬱屈を、自分への憎しみの理由を、エリーの口からもっと聞きたかったなと思うんです。

 

そしてエリー側の人間であるジェシーもディーナも非常に好きなキャラクターなんですがアビーパートに時間を割くあまりそこまで深く掘り下げられていなかったと思います。

キャラクターとして完成されていたので、掘り下げようがなかったのだと思いますけどね…。

 

 

最後に僕は1とのつながりでどうしても解せない部分があります

エリーとジョエルはラストオブアス1の最後にこういう会話をしていました。

 

エリー「ボストンで、噛まれた時だけど、ひとりじゃなかったの。あたしの親友もいて、一緒に噛まれた。途方に暮れてたら、その子が、言ったんだ。『待ってればいいじゃない、どうせ最後はみんなおかしくなっちゃうんだから』って。あたしはまだ待ってるの。」

 

ジョエル「エリー...」

 

エリー「ライリーって子だった。あの子がまず死んで、それからテス、それにサム...」

 

ジョエル「どれもお前のせいじゃない」

 

エリー「そういうことじゃないの!」

 

ジョエル「俺はな、生きるためにずっと戦ってきた。お前も、何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ。こんなこと聞きたくないのは分かってる。だが――」

 

エリー「誓ってよ!ファイアフライについてさっき言ってたことは、全部本当だって誓って」 

 

とジョエルに問うわけです。

そしてジョエルは誓い、エリーはわかったと言ってエンディングを迎えるんです。

 僕の解釈だと

エリーは病院で起きたことを察したうえで、ジョエルに誓わせたのだと思っていました。

だってエリーは最後、悲壮な顔を浮かべ「わかった」というのです。

つまり世界に対する重大な裏切り行為をお互いに黙認する道を選んだのだと僕は感じました。

でもそんな後ろめたい気持ちを抱えた二人の関係は長くは続きません

だからこそ「Last of Us — 私たちの最後」

というタイトルに続くのだと思ったのです。

 

ですが2だとエリーはファイアフライの病院で何が起きたのかいまいち分かってはおらず、ジョエルを責め立てます。

 

ここで僕は正直かなりの違和感を覚えました。

もちろん僕の解釈がそもそも間違っているという可能性もあるのでここに関してはなんとも言えませんが

今回のストーリーに不満を持っている人はこの部分に違和感を感じている人が多い気がします。

 

まとめとして

でも、アビー編に決して意味がないとは言いません。

なんてったってしっかりアビーにも感情移入して、

ゲームで「もう戦いたくない、もう敵なんか倒したくないよ…」って心の底から思ったのはたぶん初めてですからね。

 

だから僕はこのゲームを傑作という人も、批判する人の気持ちも両方わかります。

そういう観点からみるとこのネタバレインタビューで開発者が語っている、狙いに僕はずっぽしハマってしまったわけです。

automaton-media.com

 

でもね、(←しつこい)

Last of usのUSって「ジョエルとエリー」のことだと思うんですよね

 今回はジョエルとエリーの物語からフォーカスがずれて、ウォーキングデッドのような群像劇のストーリーになっていたと感じました。

USの範囲が拡大されてしまったんですよ。

ラストオブアス Part2はあくまでもあのラストオブアスの続編でありジョエルとエリーの物語であってほしかった。

 

そういうお話でした 

好きなシーンについて

余談ですが…

最後にエリーが復讐を成し遂げようとした瞬間にジョエルの顔が浮かぶんです。

ここでもう涙腺崩壊、ぶっ壊れです。

ラストバトル前ではジョエルの凄惨な死に顔を思い出して改めて復讐を決意し、

そして最後には穏やかなジョエルの顔を思い出して復讐が嫌になってしまうんです。

本当に対比構造をよく意識したゲームだと思います。

 

この瞬間おそらく、エリーはジョエルを許し、アビーを許し、そして自分すら許すことができたのだと思います。

ここからエリーの人生が前に進んでいってくれることを僕は願うばかりです。 

ところでこのシーンは思わず最後の戦闘だけやり直してスクショしてしまいましたのでご査収ください。

 

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ないちゃったやつ

 それではまた...